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熊本地方裁判所 昭和38年(わ)476号 判決 1964年6月26日

被告人 森田若市

大二・二・四生 会社役員

舛田又喜

大五・二・二二生 無職

主文

被告人両名はいずれも無罪

理由

本件公訴事実は別紙起訴状写公訴事実欄記載のとおり(ただし、第二行目に「熊本県機帆船輸送組合」とあるを「熊本県機帆船輸送協同組合」と改める)である

証拠により

一、被告人森田が昭和三四年九月から熊本県機帆船輸送協同組合(以下組合と略称する)の理事兼経理係として勤務し、昭和三七年一一月四日頃から事実上の専務理事として組合の代表理事吉井清幸を補佐して一切の事務を処理し、同理事長名義の印章を保管し組合名義の手形を振出す権限を委せられていたこと、

一、被告人舛田は昭和三一年九月頃から組合の組合員兼監事となり又株式会社舛田石油店(以下舛田石油店と略称する)の代表取締役でもあつたこと、

一、被告人舛田は(自ら又はその代理人木下愛之又は田端紀代子をして)舛田石油店の資金繰のため被告人森田に所謂融通手形の振出方を依頼し、被告人森田はこれを承諾して別紙犯罪一覧表記載のとおり昭和三七年一一月一九日頃から昭和三八年五月三一日頃までの間組合名義の融通手形三一通を振出して被告人舛田又はその代理人に交付したこと、

一、組合は昭和二五年九月二一日中小企業等協同組合法に基き熊本県内の総屯数五屯以上の機帆船を有する小規模の機帆船輸送業者をもつて組織し、機帆船による物資の運送取扱に関する共同施設、組合員に対する事業資金の貸付(手形の割引を含む)及び組合員のためにするその借入、商工組合中央金庫、信用協同組合又は銀行に対する組合員の債務の保証等を目的として設立されたものであり、舛田石油店は組合員でないこと

が認められる。

そうすると被告人森田は被告人舛田の依頼を承諾して組合の事実上の専務理事として組合員でない舛田石油店に宛て融通手形を振出すことにより舛田石油店の利益を図りその任務に背き組合に負担すべからざる債務を負担させたように一応考えられる。

然しながら他面証拠により次の諸事実が認められる。すなわち

一、組合は昭和二五年九月組合員が当時統制品であつた油類等必要な物資を確保し運賃収入の早期現金化の便宜を得ること等を目的として設立されたものであるが設立後間もなく油類等の統制が外され入手が容易になつたこと等のため本来の目的の半ばを失い三年位経過後は組合費も納入されなくなり、組合は組合員の積荷の斡旋をなしその手数料収入によつて経費を賄い組合員の金融の便宜を図つて来たこと、

一、この組合においては法人とその代表者とを同一視し実質上は法人が組合員たるべき場合に形式上はその代表者が組合員になつている場合もあること、

一、組合は設立当時適当な事務所がなく舛田石油店の事務所であつた被告人舛田所有家屋の一部を借りて事務所とし、舛田石油店とは書棚を隔てて同居しており、舛田石油店から石油類を購入して現在に至つていること、

一、舛田石油店は資本金五〇〇万円の小会社で被告人舛田の個人会社とも称すべきものであること、

一、設立当時から組合も舛田石油店も資金繰の必要から相互に融通手形を交換し互にこれを利用していること、但し舛田石油店は組合に油類を納入する業者であるため金融機関の三角支店においては組合は舛田石油店の融通手形の割引を受けることが困難であり、被告人舛田は自己が支配し得る第一石油株式会社又は東光石油株式会社の融通手形を組合に提供し組合はこれを商工組合中央金庫や肥後銀行の三角支店で割引利用していたものであるが、その額は満期を大体三ヶ月とする約束手形で昭和三五年中は七通で額面合計約一七〇万円、昭和三六年中は一三通その額面合計約三四〇万円、昭和三七年中は二三通その額面合計約六六〇余万円に達しており昭和三七年一一月四日被告人森田が事実上専務理事の職に就いた当日組合が融通を受けていた手形の額面合計額は約二一〇万円あつたこと、

一、他方舛田石油店の方は昭和三一年頃から次第に組合に交付する融通手形の額より多額の融通手形を受けるようになり昭和三七年一一月四日当時受けていた額は約三〇〇万円に達していたがその決済は遅滞なく行つていたこと、

一、他方被告人舛田は監事就任以来組合が商工組合中央金庫及び肥後銀行と手形取引をなすことによつて生ずる債務について他の役員と共に連帯保証人となつており、その極度額は商工組合中央金庫が八五〇万円、肥後銀行が一、〇〇〇万円で昭和三八年三月三一日現在組合は商工組合中央金庫に対し一五〇万円、肥後銀行に対し五九万円の債務を負担していたこと、

一、被告人森田は専務理事の職を継ぐや組合として被告人舛田には事務所を借受け商工中央金庫や肥後銀行に対する債務の連帯保証をして貰つていること従来双方で融通手形を交換し利用し合つていること等の経緯に鑑みて将来はお互に融通手形の発行額を減少して行こうと被告人舛田と話しあいながら従前どおり融通手形を発行して来たものであり、昭和三八年六月四日舛田石油店が熊本市において手形の不渡を出すまで舛田石油店の信用を疑わなかつたこと、

一、被告人舛田も友人に貸した金員の回収が不能になつた昭和三八年六月までは何とか切抜けて行けるものと考えていたこと

以上の事実が認められる。

中小企業金融の困難な今日、中小企業においてお互に融通手形を利用し合うことは、好ましくないことではあるが已むを得ないところである。この場合被告人森田のように手形振出の権限を有する者は仕入先に融通手形を発行する場合にはその額を支払代金の額に近い額に止めるとか相手の信用の程度に応じて同額を交換するとかの方法を講じて法人が不測の損害を被ることのないよう職務上の注意を尽さなければならないことはいうまでもない。

然しながら法人も亦社会的存在である以上過去において相手方から受け又現に受けつつある恩恵その他諸般の事情からある時期において一方が他方に対し自己が受取るより多額の融通手形を振出してやることも已むを得ない場合がある。かかる場合直ちに融通手形を振出した者をその任務に背いたものとして背任罪の刑責を問うことは法の予期しないところというべきである。本件についてこれをみるに前記認定のとおり被告人森田が事実上の専務理事に就任した当時既に約三〇〇万円の融通手形が舛田石油店に宛てて振出されておりこれを直ちに打切ることはできないので被告人舛田に対し順次その額を減少すべく申し入れ被告人舛田もこれを承諾しながら資金繰りの都合で仲仲これを実現し得ず、前記認定のとおり組合が受取る額を相当超過する額の融通手形を発行して来たものであるが被告人舛田と組合との諸般の親密な相互扶助的関係を考えるとき被告人森田の本件融通手形の振出をもつて直ちにその任務に背いたものというのは酷に過ぎるものであり、これを背任罪に該るということはできないものと解する。

そうすると刑事訴訟法第三三六条に則り被告人両名に対し無罪の言渡をしなければならない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 安東勝)

二、公訴事実

被告人森田若市は昭和三四年九月から宇土郡三角町波多四、二六七番地所在熊本県機帆船輸送組合(以下単に組合と略称)の理事兼経理係として勤務し、同三七年一一月四日から事実上の専務理事として同組合の業務に関し代表理事吉井清幸を補佐して同組合一切の事務を処理していたものであり、被告人舛田又喜は右組合組合員で同三二年九月から同組合監事に就任し、又熊本市練兵町四五番地所在株式会社舛田石油店(以下単に会社と略称)代表取締役でもあるところ、被告人舛田は右会社の資金繰に窮した結果、右組合より融通手形の貸付を受けて急場を切抜けようと企て、その旨被告人森田に依頼し、ここに被告人両名共謀の上、同組合定款によると、同組合は組合員以外には資金の貸付は出来ず、勿論融通手形の貸付は出来ないのにかかわらず、右会社の利益を図る目的をもつて、被告人森田の右任務に背き、別紙犯罪一覧表記載の通り犯意を継続して、同三七年一一月一九日頃から同三八年五月三一日頃迄の間三一回に亘り、右組合において合計三一通、額面合計五、〇〇五、六〇七円の右組合理事長吉井清幸振出名義の融通約束手形を振出し、各々その頃右会社に交付し、もつて右組合に右融通手形の支払い義務を負担させて同額の損害を加えたものである。

犯罪一覧表(略)

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